分娩後出血の見取り図 ― 第1回:定義・疫学
第1回 PPHの定義・疫学
本稿は産婦人科専門医が最新の医学エビデンスに基づいて執筆する、PPH(postpartum haemorrhage、分娩後出血)連載「分娩後出血の見取り図」の第1回(全8回)です。本稿で頻出する略語は記事末尾の付録にまとめました。本文では各略語を初出時に展開します。
結論(忙しい先生へ)
PPHは今も世界で母体死亡の最大の原因であり、年間およそ4万3000人——12分に1人が亡くなっています。 その死亡の多くは予防可能とされ、その背景には医療へのアクセスの乏しさとケアの質の低さがあります(Coomarasamy 2026)。
出血量をどう捉えるかで、PPHの見え方は変わります。 目分量による推定は不正確で、PPHの最大で半分を見落とすとされます。客観的に計測すると、経腟分娩のPPH(≥500mL)有病率は12.6%——目分量による3.9%の3倍を超えました(Yunas 2025)。
WHOは2025年、PPHの新しい定義を示しました。 客観計測で≥300mL+血行動態の異常、または≥500mL——分娩後24時間以内に、いずれか早く該当した時点です(WHO 2025・Recommendation 22)。ただしWHOはこれを、疾患分類だけを目的とする定義ではなく、「治療開始を導くための診断閾値=治療的定義(therapeutic definition)」と位置づけています。つまり「いつ治療を始めるか」を定めるもので、感度を優先し、より早い介入を意図しています。
この閾値の土台は、31万人規模のメタ解析にあります。 個別参加者データメタ解析(individual participant data meta-analysis:IPDMA)では、出血量と血行動態の異常を組み合わせた複合ルールが、出血した患者のうち死亡・重症化する人を感度86.9〜87.9%で検出しました(≥500mL単独では75.7%。Gallos 2025)。これは、「出血が始まったとき、誰が危ないか」を見分ける精度です。この基準を実装して転帰が改善するかは、まだ証明されていません。
日本の現行基準は、経腟500mL・帝王切開1,000mLです。 バイタルサインとSI(ショックインデックス=心拍数÷収縮期血圧)は分娩後も継続的にモニターされ、出血量の客観的な計測も日常的に行われています。JSOGは、量だけに頼らず、バイタルとショック・循環不全の徴候の確認を不可欠としています(産科ガイドライン2026・CQ416-1)。
「PPH」の定義
主要機関はPPHを次のように定義しています。
ACOG(American College of Obstetricians and Gynecologists、米国産科婦人科学会):分娩様式を問わず、分娩後24時間以内の累積出血量が1,000mL以上、または循環血液量減少の徴候・症状を伴う出血(分娩中の出血を含む)。ACOGはこれを従来の「経腟分娩で500mL超・帝王切開で1,000mL超」に代わる定義とし、新しい分類によってPPHと分類される人は減る可能性があるとしています。ただし経腟分娩で500mLを超える出血は依然として異常であり、原因を調べる契機とすべきだとしています(ACOG Practice Bulletin No.183, 2017)。
WHO(従来):分娩後24時間以内の出血500mL以上。WHOは2025年のガイドラインで、この「≥500mLという固定閾値を排他的に用いること」に疑問を呈しました。失血への耐性は循環血液量・分娩前のヘモグロビン・全身状態などによって異なり、固定量の閾値は必ずしも個々の臨床的リスクを反映しない、というのがその理由です(WHO 2025)。
WHO 2025(Recommendation 22):客観的に計測した出血量が300mL以上で血行動態の異常(脈拍>100/分、ショックインデックス>1、収縮期血圧<100mmHg、拡張期血圧<60mmHgのいずれか)を伴う場合、または客観的計測で500mL以上——分娩後24時間以内に、いずれか早く該当した時点。WHOはこれを、分類のためだけの定義ではなく治療開始を導くための「治療的定義(therapeutic definition)」と明記しています。23か国・31万人超の個別参加者データメタ解析に基づき、感度を優先して致死的な出血の見逃しを減らすことを狙ったもので、特に低資源国で重要だとしています(WHO 2025・Recommendation 22)。
JSOG(日本産科婦人科学会・産科ガイドライン2026、CQ416-1):日本ではPPHを「胎盤娩出後から産後12週までに発生した産後の異常出血」と定義していますが、本CQ(CQ416-1)では児娩出から胎盤娩出まで(分娩第3期)に発生した分娩時異常出血の症例も対象に含めています。
あわせて、日本の大規模データ(約25万分娩の解析)では、分娩後出血量の90パーセンタイル値は、単胎・経腟分娩で800mL、単胎・帝王切開で1,500mL、多胎・経腟分娩で1,600mL、多胎・帝王切開で2,300mLと報告されています。JSOGは、測定値が必ずしも実際の出血量を反映しないことを踏まえ、古典的な定義(経腟500mL・帝王切開1,000mL)を超えてなお出血が続く場合には、PPHを疑ってバイタルサインを評価し、ショックや循環不全の徴候を確認することが不可欠だとしています。
疫学——発生は世界で偏在せず、死亡が偏在する
PPHは、いまも世界の母体死亡の最大の原因です(Coomarasamy 2026)。だが以下の疫学が示すのは、その死亡を分けているのが発生率の高低ではなく、医療へのアクセスとケアの質だという事実です。
死亡は、時間的にも地理的にも偏在します。PPHによる死亡の79%は産後24時間以内に起こり、わずか2つのSDG(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)地域——サハラ以南アフリカと中央・南アジア——だけで、PPHによる死亡の推定90%を占めます(Coomarasamy 2026)。
一方、客観計測による経腟分娩のPPH(≥500mL)有病率は、高所得国(HIC)で12.9%、低・中所得国(LMIC)で12.2%と同程度でした。それでもPPH関連の死亡・重症化の率はLMICで遥かに高い、と同レビューは記しています(Yunas 2025)。発生が同程度で死亡が偏るのなら、差を生むのは発生率そのものではありません。
その死亡の多くは、防ぎうるものです。各国の母体死亡レビュー(confidential enquiries into maternal deaths)は、PPHによる死亡の背景に医療へのアクセスの乏しさとケアの質の低さがあることを繰り返し示してきました。PPHで死亡した女性の50〜75%でsubstandard care(標準に満たないケア)が報告され、認識の遅れと治療開始の遅れが、死亡例に共通する問題でした(Coomarasamy 2026)。
日本——産科危機的出血の15年
日本では、日本産婦人科医会(JAOG、Japan Association of Obstetricians and Gynecologists)の妊産婦死亡症例検討評価委員会が2010年から全国の妊産婦死亡事例を収集しており、厚生労働省の人口動態統計を上回る数を把握しています。2010〜2024年(15年半)の報告669例・検討終了640例で、死因の第1位は産科危機的出血(18%)でした(母体安全への提言2024 Vol.15)。
目を引くのはその推移です。産科危機的出血が死因に占める割合は、2010年の約28%から年々漸減して2019年には5%まで下がり、2020年から再び増えて2024年には24%——事業開始当初を思わせる水準に逆戻りしました(同Vol.15)。委員会はこの低下について、母体安全への提言の周知や、J-CIMELS(Japan Council for Implementation of Maternal Emergency Life Support System、日本母体救命システム普及協議会・2015年設立)の発足に伴って周産期管理が向上し、日常遭遇することの多い原因による産科危機的出血の死亡が少なくなった、と述べています(同Vol.15)。より早い版では、バイタルサインへの注意や産科出血への初期対応に加え、シミュレーションコースの展開によって迅速な輸血・母体搬送・施設間の連携が改善されてきた結果である、としています(母体安全への提言2018 Vol.9)。
近年の再増加の要因になっているのは、胎盤早期剥離と、周術期管理に関連した出血です(同Vol.15)。後者は、2024年に産科危機的出血の割合が急増したことを受けた再解析で、従来「その他」に分類していた事例から新たに区分し直したもので、5例(4%)でした。これらは、分娩第1期の終わりから第2期に器械分娩の不成功や胎児機能不全を理由に緊急帝王切開を施行し、児娩出時に子宮創部から裂傷や子宮動脈損傷が発生した事例です。帝王切開中は縫合止血して1,500〜2,000mL程度で閉腹するものの、帰室後も出血が持続し、2〜3時間でショックバイタルとなって救命処置が開始される——いわゆる分娩第4期(胎盤娩出後2時間)の持続出血が、ショックバイタルの原因になっていると考えられています(同Vol.15)。胎盤早期剥離については、過去の死亡例の再解析から、低フィブリノゲン血症に代表される凝固異常の診断が遅れ、凝固因子補充の開始が後手に回っていた、と指摘されています(同Vol.15)。
初発症状から心停止までの時間を死因別にみると、産科危機的出血による心停止は「30分以内に起こった事例はなく、1〜2時間に起こることが多かった」と報告され、委員会はこれを「迅速な止血処置、輸血などの集学的な管理を行うことで、救命可能な事例があることを示している」と解説しています(母体安全への提言2015 Vol.6)。羊水塞栓症(心肺虚脱型)や脳出血が30分以内に心停止を来しやすいのとは対照的です。
予後——測った出血量と血行動態徴候で危機を見分ける
出血が始まったあとで「誰が危ないか」は、測った出血量に血行動態の徴候を重ねれば見分けられます。 ここで見分けるのは、死亡や重症化に至る危険のある人です(Gallos 2025)。
WHOが2025年に閾値を下げた根拠は、世界23か国・31万人規模の個別参加者データメタ解析(IPDMA)にあります(Gallos 2025)。このIPDMAは、臨床マーカー(測定した出血量やバイタルサイン)が死亡・重症化をどれだけ正確に予測できるかを評価しました。著者は、従来の予測モデルが「PPHの発症リスクを予測しようとしたのであって、PPHに関連する有害転帰のリスクを予測したのではない」と述べ、本研究をそれと区別しています(Gallos 2025)。
測った出血量は、単独でも予後マーカーとして働きました。500mLでは感度75.7%・特異度81.4%で、死亡・重症化を予測しました。閾値を300mLに下げると感度は83.9%に上がりますが、特異度は54.8%に下がります(Gallos 2025、以下同)。閾値を下げるほど感度は上がり、特異度は下がります。
一方、脈拍・血圧・ショックインデックスといったバイタルサインは、それ単独では予後マーカーとして力不足でした。感度80%超と特異度50%以上を同時に満たす閾値が、これらのどこにも見つからなかったからです(たとえばショックインデックス1.0で感度48.7%・特異度85.4%)。バイタルサインが予後マーカーとして働くのは、単独ではなく出血量と組み合わせたときです。
この組み合わせが、§2で示したWHO 2025のトリガーです。「300mL以上500mL未満の出血に血行動態の異常を伴う」または「500mL以上」を陽性とする、あらかじめ定めた複合ルールは、感度86.9〜87.9%・特異度66.6〜76.1%を達成しました。300mL単独(感度83.9%・特異度54.8%)と比べ、感度をほぼ保ったまま特異度を取り戻しています。血行動態の徴候を併せて見ることで、閾値を下げたぶんの偽陽性を相殺できる——これが、300mLという低い出血量を血行動態徴候とセットで用いる根拠です。

図1 出血が始まったあとで「誰が危ないか」(死亡・重症化に至る人)を見分ける精度——判定方法の比較(Gallos 2025)。出血量だけで判定する場合(500mL・300mL)と、血行動態の異常を組み合わせたWHO 2025のルールを、感度(危険な人を見逃さない割合)と特異度で比べたもの。図のWHO 2025のルールは出血量300mL閾値での値を代表として示す(本文のとおり、用いる閾値により感度・特異度には幅がある)。
WHOがこの複合ルールで感度を優先したのには、はっきりした狙いがあります。WHOの技術諮問では、22人(85%)が特異度より感度を重視しました(参加した専門家は26人)。出血への初期対応の一括介入(first-response bundle)は安価で・広く使え・実施が容易で・リスクも小さく、難治化してからの治療(大量輸血や集中治療)が高価で専門施設を要するのとは対照的だからです(Gallos 2025)。感度を優先して致死的な出血を取りこぼさないこの設計は、とりわけ、バイタルサインの継続的なモニターや客観的な出血量の計測がまだ日常になっていない低資源の現場で意味を持ちます(Gallos 2025/WHO 2025)。だからWHOはこれを一律に課す閾値としてではなく、実装する現場の実情に応じて閾値を選んでよいものと位置づけています(WHO 2025)。
ただし、この精度にはいくつもの保留が付きます。第一に、これはあくまで予後の精度であって、この低い閾値を実際の診療に導入すれば転帰が改善する、という検証はまだありません。著者自身が、現実の臨床と地域でこれを検証する必要があると明記しています(Gallos 2025)。第二に、この解析は経腟分娩に大きく偏っており(98.1%)、帝王切開は単一研究のみで、帝王切開への一般化には別の検証が要ります(同)。第三に——そしてこれは数字を控えめに読ませる方向の保留ですが——治療そのものが出血量と有害転帰の両方を減らすため、マーカーと転帰の関連はむしろ過小評価されている可能性があります(treatment paradox・同)。感度86.9〜87.9%という数字は、真の予後精度を下回っている可能性があるということです。
以上が、§2で並べた「WHO 2025・客観計測≥300mL+血行動態徴候 または ≥500mL」という治療的定義の、エビデンス上の土台です。この閾値は恣意的に選ばれたものではなく、31万人規模のIPDMAに裏打ちされています。
日本の現在地
日本の現行基準は、経腟500mL・帝王切開1,000mLです。WHO 2025が示した≥300mL+血行動態徴候は、モニターや計量が日常でない現場で見逃しを減らすための治療的定義で、現時点で日本の基準ではありません。本連載では次回以降、この定義と疫学を土台に、PPHの予防と対応の実際を扱います。
本連載の各回の要旨・図表アーカイブ・参考文献は、公開リファレンスサイト obstetric-strategist.com にまとめています(本文は theLetter で全文無料)。連載全体を一望し、図表や原典に当たる入り口としてご利用ください。
他の連載もどうぞ(各シリーズ 第1回)
付録:本稿で頻出する略語
PPH — postpartum haemorrhage(分娩後出血)
IPDMA — individual participant data meta-analysis(個別参加者データメタ解析)
SI — shock index(ショックインデックス。心拍数÷収縮期血圧)
WHO — World Health Organization(世界保健機関)
ACOG — American College of Obstetricians and Gynecologists(米国産科婦人科学会)
JSOG — Japan Society of Obstetrics and Gynecology(日本産科婦人科学会)
JAOG — Japan Association of Obstetricians and Gynecologists(日本産婦人科医会)
J-CIMELS — Japan Council for Implementation of Maternal Emergency Life Support System(日本母体救命システム普及協議会)
HIC — high-income countries(高所得国)
LMIC — low- and middle-income countries(低・中所得国)
SDG — Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)
参考文献
Coomarasamy A, et al. Postpartum haemorrhage: epidemiology, consequences and missed opportunities. Lancet 2026;408(10549):62-73. PMID: 42285119
Yunas I, Gallos ID, Devall AJ, et al. Prevalence of postpartum haemorrhage: a systematic review and meta-analysis. Lancet Obstet Gynaecol Women's Health 2025;2(2):e129-e139. DOI: 10.1016/S3050-5038(25)00123-2
World Health Organization. WHO consolidated guidelines for the prevention, diagnosis and treatment of postpartum haemorrhage. Geneva: WHO; 2025. ISBN: 9789240115637
Gallos ID, et al. Prognostic accuracy of clinical markers of postpartum bleeding in predicting maternal mortality or severe morbidity. Lancet 2025;406(10514):1969-1982. PMID: 41056961
Committee on Practice Bulletins-Obstetrics. ACOG Practice Bulletin No. 183: Postpartum Hemorrhage. Obstet Gynecol 2017;130(4):e168-e186. PMID: 28937571
日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会. 産婦人科診療ガイドライン産科編2026. CQ416-1(分娩後異常出血の予防ならびに対応)・CQ416-2(「産科危機的出血」への対応). 2026:268-276.
妊産婦死亡症例検討評価委員会・日本産婦人科医会. 母体安全への提言2024(Vol.15). 2025. https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2025/10/botai_2024.pdf
妊産婦死亡症例検討評価委員会・日本産婦人科医会. 母体安全への提言2018(Vol.9). 2019. https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2019/10/botai_2018.pdf
妊産婦死亡症例検討評価委員会・日本産婦人科医会. 母体安全への提言2015(Vol.6). 2016. https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2017/01/botai_2015.pdf
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