不育症の見取り図 第2回:APS①――なぜ抗凝固で生児が増えるのか
第2回:APS①――なぜ抗凝固で生児が増えるのか
第1回では、不育症(recurrent pregnancy loss:RPL、妊娠の喪失〔流産・死産〕を繰り返す状態)の精査で見つかる所見の多くが、治療では転帰の動かない随伴所見であり、低用量アスピリンとヘパリンの併用(抗血栓療法)で生児が増えることが臨床試験で示されている"治療できる原因"は、実質的に APS(antiphospholipid syndrome、抗リン脂質抗体症候群)に絞られることをみました。第2回は、その APS を扱います。なぜ抗凝固で生児が増えるのか(機序)、その効果はどれくらい確実で、どこまで及ぶのか――この三つが本稿の主題です。誰にどう治療し、どこで治療を控えるか(抗体プロファイルによる層別化)は、第3回で扱います。
本稿で頻出する略語は末尾の付録にまとめます。本文では各略語を初出時に展開します。
結論(忙しい読者へ)
不育症で、低用量アスピリンとヘパリンの併用(抗血栓療法)が生児を増やすことを臨床試験で示せているのは、実質的に APS だけです。 持続陽性の抗リン脂質抗体をもつ反復流産では併用が生児を増やしますが(Hamulyák ら 2020)、APS でない反復流産では抗凝固が生児を増やすとは示されていません(de Jong ら 2014)。この区別は、ESHRE などの主要な国際ガイドラインや、日本の「不育症管理に関する提言」に共通する見方です(ESHRE の反復流産ガイドラインは、原因不明の反復流産には抗凝固を推奨せず、APS にのみ低用量アスピリンとヘパリンを提案しています)。
ただし、生児を増やしている主体は「血を固まりにくくすること」そのものではありません。 産科 APS の妊娠喪失は、かつて想定された胎盤の血栓ではなく――抗リン脂質抗体(aPL、antiphospholipid antibodies)が陽性の妊娠でも、胎盤に血栓は確実には検出されません――主にトロホブラスト(栄養膜細胞)の機能障害と補体の活性化によって、胎盤が正しく作られないことで起こると考えられています。ヘパリンが妊娠喪失を減らすのも、少なくとも一部は、抗凝固作用ではなく胎盤での補体活性化を抑える作用によると考えられています(Girardi ら 2004/Meroni ら 2025 ほか。詳細は後述)。この機序の違いが、補体・炎症が主体の APS では生児が増え、凝固が主体の遺伝性血栓性素因(第4回)では増えない、という対比の説明になります。
生児が増えること自体は示されています。ただし、それを裏づけるエビデンスは強くありません。 Cochrane の統合解析では、この併用療法で生児が増え(86% 対 68%、リスク比〔RR〕1.27)流産が減りますが(Hamulyák 2020)、エビデンスの確実性は GRADE で LOW(低)です。しかも、Cochrane・近年の総括(Bor 2026)・日本の APS 妊娠ガイドライン(2026)という別々の解析が、いずれも推定の大部分を同じ一つの大規模試験(Bao 2017)に依存しています。独立した三つの根拠に見えて、エビデンスの実体はほぼ一つの試験なのです。
生児を増やす一方で、その作用が及ぶ範囲には限界があります。 この併用療法は生児を増やし流産を減らしますが、早産や胎児発育不全(FGR、fetal growth restriction)を減らせるとは示されていません。それでも、約2割の妊娠では合併症を防げません。これらの限界も、生児が増える理由と同じ機序から考えると理解できます。
以下、まず APS の定義を確認し、なぜ治療の対象になるのか → なぜ生児が増えるのか(機序)→ どれくらい確実か → どこまで届くか、の順にみていきます。
APS と産科 APS ― まず定義を
APS(抗リン脂質抗体症候群)は、抗リン脂質抗体(aPL)が持続的に陽性で、かつ血栓症または妊娠合併症を伴う状態を指します。ここでいう aPL の持続陽性とは、ループスアンチコアグラント(LAC、lupus anticoagulant)、中〜高力価の抗カルジオリピン抗体(aCL、anticardiolipin antibody)、または抗β2GPI 抗体(>99 パーセンタイル)のいずれかが、12 週以上あけて 2 回以上陽性であることをいいます。
このうち、血栓症の既往がなく、妊娠合併症を臨床事象とするものが、産科 APS(OAPS、obstetric APS)です。産科の臨床基準は、(a) 妊娠 10 週以降の、形態正常な胎児の説明できない死亡、(b) 妊娠 34 週未満の、重症妊娠高血圧腎症・子癇または胎盤機能不全による形態正常児の早産、(c) 妊娠 10 週未満の説明できない流産が 3 回以上連続――の三つで、このいずれか一つを満たせば足ります(改訂 Sapporo〔Sydney〕基準、Miyakis ら 2006)。
なお、APS に「診断基準」はなく、あるのは研究のための「分類基準」です。改訂 Sapporo 基準と 2023 年の ACR/EULAR(American College of Rheumatology/European Alliance of Associations for Rheumatology、米国リウマチ学会/欧州リウマチ学会連合)基準をどう使い分けるか、再検査で消える一過性の aPL をどう扱うかといった実務は、第3回で扱います。本稿では、日本の臨床・指定難病認定が依拠する改訂 Sapporo 基準を満たす産科 APS を念頭に、その機序と治療をみていきます。
なぜ APS は治療の対象になるのか
第1回でみたように、不育症で見つかる所見の多くは、無治療でも自然予後が良く(5年で約7割が生児)、治療の必要性そのものが問われます。APS は、その例外にあたります。
随伴所見の多くは、放置しても多くが生児に至り、治療で生児が増えるとは示されていません。APS はそうではありません。低用量アスピリンとヘパリンの併用で、流産率という代理指標だけでなく、生児という結果そのものが増えることが、無作為化試験で示されています(効果の大きさと確実性は次節以降でみます)。治療で生児が増えると臨床試験で示された、実質的に唯一の所見――これが、APS を治療の対象にする理由です。
ただし、ここで一つ、注意しておくべき点があります。生児が増えるという結果は示されているとはいえ、それが「血を固まりにくくしたから」とはかぎりません。もし産科 APS の妊娠喪失が血栓によるのなら、抗凝固で防げるはずです。しかし次節でみるように、その主たる病態は胎盤の血栓ではありません。だから「なぜ、この併用療法で生児が増えるのか」が、本稿の最初の問いになります。
問いは「治療するか」よりも、「なぜ生児が増えるのか、それはどこまで届くのか」に移ります。
要点:不育症の随伴所見の多くは無治療でも自然予後が良いのに対し、APS は、この併用療法で生児そのものが増えると無作為化試験で示された、実質的に唯一の例外です。だから治療の対象になります。ただし、生児が増える理由が「抗凝固」かどうかは別問題で、これが次節以降の主題です。
なぜ生児が増えるのか ― 抗凝固薬でありながら、抗凝固が主役ではない
低用量アスピリンとヘパリンの併用が、APS で生児を増やすことは臨床試験で示されています。ただし後でみるように、その確実性は高くなく、推定の大部分は単一の大規模試験に支えられています(詳細は次節)。ここではまず、なぜ抗凝固薬が APS の妊娠喪失を減らすのか――その作用機序を整理します。先に結論を述べれば、生児を増やしている主体は「血を固まりにくくすること」そのものではありません。
「抗リン脂質抗体」という名前は、しばしば誤称(misnomer)とされます。臨床的に重要な aPL(antiphospholipid antibodies、抗リン脂質抗体)が実際に結合するのは、名前に反して、リン脂質そのものではなくリン脂質に結合したタンパクで、その最も主要なものが β2グリコプロテインI(β2GPI、beta2 glycoprotein I)という血漿タンパクです。β2GPI が aPL の標的抗原であることは1990年に同定され(McNeil ら, Proc Natl Acad Sci USA 1990)、現在も aPL の中心的な標的と位置づけられています(Tong ら, Hum Reprod Update 2015/Meroni ら, Curr Opin Immunol 2025)。
そして、産科 APS の妊娠喪失は、長く胎盤の血栓によると考えられてきましたが、胎盤の組織像を集めて検討すると、その前提は支持されません。aPL 陽性妊娠の胎盤 580 例(34 研究)を集めた系統的レビュー(Viall, Chamley, Autoimmun Rev 2015)は、対照より多くみられた所見として6つ――胎盤梗塞、らせん動脈リモデリングの不全、脱落膜の炎症、syncytial knots(合胞体核の凝集)の増加、血管合胞体膜の減少、補体分解産物 C4d の沈着――を挙げました。Viall らはこのうち、C4d を除く5つの構造的病変を「aPL 胎盤の指紋(fingerprint)」と名づけています(C4d 自体は対照より多いものの、下流の補体成分の沈着は乏しいとして、指紋そのものには含めていません)。注目すべきは、その指紋にも、6つの所見にも、血栓が含まれないことです。絨毛間腔の血栓も、らせん動脈の血栓も、胎盤血管の血栓も、aPL 陰性の胎盤と頻度が変わりませんでした。さらに、初期にはらせん動脈がトロホブラスト栓でふさがれ、母体血が絨毛間腔へ本格的に流れ込むのは妊娠初期の終わりであることから、Tong らの系統的レビュー(Tong, Viall, Chamley, Hum Reprod Update 2015)は、血栓・梗塞を胚・初期胎児の喪失の原因とは考えにくいとしています。最新総説(Meroni ら, Curr Opin Immunol 2025)も「血栓は産科 APS の胎盤形成不全の主たる機序ではない」と明言します。産科 APS の国際タスクフォース(de Jesús ら, Lupus 2020)も同じ立場です。
ただし「血栓は一切ない」という意味ではありません。指紋の筆頭は胎盤梗塞で、梗塞は血流障害(血栓を含みうる)の結果です。Viall らも梗塞は「よくみられるが、それだけでは特異的でない」としています。後期の合併症(妊娠高血圧腎症や胎児発育不全)には血栓的な要素が関わりうるという指摘もあります(de Jesús ら 2020)。要は、繰り返す早期の喪失について、主役はびまん性の胎盤血栓ではない――これが、580 例の胎盤を見渡した現在の結論です。
では aPL は胎盤で何をするのか。大きく二つです。
第一に、トロホブラスト(栄養膜細胞、胎盤を作る細胞)の直接障害です。トロホブラストは表面に β2GPI を発現するため、aPL が直接結合できます。in vitro 研究を集めた前述の系統的レビュー(Tong ら 2015)は、「aPL がトロホブラストの生存・syncytialization〔細胞融合〕・浸潤を低下させることには相当の裏づけがある」と総括しています(とくに浸潤の低下は、検討した14研究すべてで一致)。浸潤と子宮らせん動脈のリモデリングが不十分になれば、胎盤への母体血流が十分に立ち上がりません。これは「血栓で詰まる」のではなく、「胎盤がそもそも正しく作られない」という像です。
第二に、補体の活性化です。aPL を投与した妊娠マウスでは、補体成分 C3 を欠損させると胎児の喪失と発育制限から保護され(Holers, Girardi ら, J Exp Med 2002)、補体 C5a とその受容体・好中球が傷害の実行役であることも示されました(Girardi ら, J Clin Invest 2003)。これらはマウスでの因果の証明です。ヒトでも、前向きコホート(Kim ら/PROMISSE 試験, Ann Rheum Dis 2018)で妊娠初期の補体活性化マーカーが後の不良な妊娠転帰を独立に予測し(その関連は aPL 陽性で最も強い)、aPL 陽性妊娠の胎盤には補体分解産物 C4d の沈着がみられます(Viall ら 2015 ほか)。ヒトで示されているのは関連までで、補体活性化が妊娠喪失を引き起こすと証明されたわけではありません。それでも、マウスでの因果とヒトでの一貫した関連から、補体活性化が病態の中心に位置づけられています。
最後に、β2GPI がどのように自己抗原となるかをめぐる日本発の知見にも触れておきます。β2GPI は単独では自己と認識されにくいのですが、HLA-DR(HLAクラスII分子)と複合体を作ると新たな自己抗原(neoself 抗原)となり、これに対する抗体が生じます(Arase/Tanimura ら, Blood 2015)。反復流産の女性を対象とした日本の多施設研究(Tanimura ら, Arthritis Rheumatol 2020)では、この抗β2GPI/HLA-DR 抗体が 227 例中 52 例(22.9%)で陽性となり、しかもそのうち 35 例(67.3%)は従来の aPL がすべて陰性でした。従来の検査では「APS でない」と判定される反復流産の一部を説明しうる候補です。ただしこれは分類基準に未収載の研究段階のマーカーで、検査・治療の詳細は第5回で扱います。
ここまでが、aPL が胎盤を傷つける二つの機序――トロホブラストの直接障害と補体の活性化――です。この二つは、そのままヘパリンの作用機序につながります。産科 APS の病態を概説した総説(D'Ippolito ら, Int J Mol Sci 2023)は、ヘパリンの役割を、抗凝固とは別の三つの作用として整理しています。①aPL がトロホブラストや子宮内膜内皮に結合するのを妨げる、②aPL がトロホブラストの機能(浸潤・増殖・分化)と子宮内膜内皮の血管新生に及ぼす悪影響を防ぐ、③補体の活性化を抑える――の三つで、いずれも「血を固まりにくくする」作用とは独立しています。
この「抗凝固ではない」という点を最も直接的に示したのが、補体の動物実験です。aPL を投与した妊娠マウスでは、ヘパリン(未分画・低分子いずれも)が補体の活性化を抑えて妊娠喪失を防ぎました。一方、他の抗凝固薬――fondaparinux(第Xa因子阻害薬)と hirudin(直接トロンビン阻害薬)――は、抗凝固はかかっても補体の活性化は抑えず、妊娠喪失も防げませんでした(Girardi, Redecha, Salmon, Nat Med 2004)。しかも、抗凝固作用が検出できないほど少量のヘパリンでも防御がみられました。著者らは「ヘパリンが(一部の)APS 女性で合併症を防ぐのは、胎盤の血栓を防ぐからではなく、aPL が誘発する補体活性化を抑えるからだと考えられる」と述べています。ただしこれはマウスのモデルであり、ヒトでの証明ではありません。
最新の総説も同じ見方を示します。Meroni ら(2025)は「妊娠合併症では、ヘパリンとアスピリンは抗凝固・抗血小板作用とは独立に働く」とし、ヘパリンが β2GPI に結合してトロホブラストへの aPL 結合を競合的に妨げる可能性と、補体を抑える作用を挙げています。産科 APS タスクフォース(de Jesús ら 2020)も「低用量アスピリンとヘパリンは、凝固を抑えるのではなく抗炎症的に働く」と明記しています。低用量アスピリンは抗血小板作用に加え抗炎症作用をもつとされますが、単独では生児を増やすと示されておらず、生児を増やすのはヘパリンとの併用です。これらの作用は「確立」というより「示唆される(proposed)」水準ですが、向きは一貫しています。

図1 なぜ APS では生児が増え、ほかの不育症では増えないのか。産科 APS では aPL がトロホブラストと補体に作用し、ヘパリンとアスピリンがその層(着床・補体・炎症)に部分的に届くため、生児が増える。一方、APS でない不育症(原因不明・遺伝性血栓性素因)では、胎盤を傷つける自己抗体がなく、抗凝固が抑えるべき胎盤血栓という前提も弱いため、生児は変わらない(詳細は第4回)。
要点:APS で抗血栓療法が生児を増やすのは、抗凝固作用そのものによるのではありません。妊娠喪失の主役は胎盤のびまん性血栓ではなく(血栓性病変は aPL 陰性妊娠と同程度で、「指紋」に血栓は含まれません)、aPL によるトロホブラストの直接障害と補体の活性化です。ヘパリンも、抗凝固ではなく、結合の遮断・トロホブラスト機能の保護・補体活性化の抑制という三つの作用で妊娠喪失を減らすと説明されます。ただしこれらの作用は「確立」ではなく「示唆される(proposed)」水準で、向きが一貫しているという段階です。
どれくらい確実か ― 生児は増えるが、確実性は低い
ここまでの機序は、APS で抗血栓療法が生児を増やすことと整合します。では、生児が増えるという結果は、どれくらい確実でしょうか。
数値ははっきりしています。5つのランダム化比較試験(RCT、randomized controlled trial、計1,295例)を統合した Cochrane の解析では、ヘパリン+低用量アスピリンは、アスピリン単独と比べて生児を増やし(86% 対 68%、RR 1.27、95%信頼区間 1.09–1.49)、妊娠喪失を減らしました(16% 対 33%、RR 0.48、0.32–0.71)(Hamulyák 2020)。
しかし、この生児に対する効果のエビデンスの確実性は、GRADE で LOW と評価されています。理由は二つで、いずれも推定の不精確性(imprecision)ではありません。第一に、試験の偏り(選択バイアスと脱落バイアス)です。第二に、効果量がヘパリンの種類によってばらつくこと(非一貫性、I² > 45%)です。実際、未分画ヘパリン(UFH、unfractionated heparin)+アスピリンでは RR 1.74(1.28–2.35、2試験140例)と大きな効果が、低分子ヘパリン(LMWH、low molecular weight heparin)+アスピリンでは RR 1.20(1.04–1.38、3試験1,155例)と小さめの効果が出ています。古く小規模な UFH 試験ほど効果が大きく見える、という不一致です。

図2 ヘパリン+アスピリン併用の効果(Hamulyák 2020 Cochrane)。生児は増え(RR 1.27)、流産は減る(RR 0.48)。ただし効果はヘパリンの種類でばらつき、アスピリン単独はプラセボを上回らない。確実性は GRADE LOW。
さらに、推定の大部分は、単一の大規模試験に支えられています。LMWH の統合(1,155例)の大半は、中国の単施設で行われた1試験(Bao 2017、1,015例、RR 1.29、1.21–1.37)が占めます。なお、LMWH の統合値(1.20)が Bao 単独(1.29)を下回るのは、統合が効果の異なる他の小規模試験も含むためで、この試験間のばらつき自体が、前述の確実性を下げた非一貫性です。この試験は D-ダイマー値に応じて投与量を調整する独特のデザインで、生児率も高く、外的妥当性には著者自身が留保をつけています。近年の総括(Bor 2026、14 RCT のスコーピングレビュー)も、「この併用療法が生児を約20%増やすという所見は、主に単一の大規模試験〔Bao〕に牽引されている」と明記しています。日本の APS 妊娠ガイドライン(2026)の独自統合解析も RR 1.29(1.21–1.37)に至り、これは Bao 単独の推定値とほぼ一致します。Cochrane、Bor 2026、日本のガイドラインという三つの独立した総括が同じ結論に至りますが、独立した三つに見えて、その推定はいずれも同じ一つの試験(Bao 2017)に依存しています。
なお、アスピリン単独がプラセボを上回るという結果は示されませんでした(生児 RR 0.94、0.71–1.25、確実性 very low)。生児を増やすのはアスピリン単独ではなく、アスピリンとヘパリンの併用です。APS の治療を「抗血栓療法(低用量アスピリン+ヘパリン)」と一括して書くのは、このためです。
要点:この併用療法は生児を増やし(RR 1.27)流産を減らしますが(RR 0.48)、生児に対する確実性は GRADE LOW です。理由は試験の偏りと、ヘパリンの種類によって効果量がばらつくことで、推定の不精確性によるものではありません。さらに推定の大部分は単一の試験(Bao 2017)に依存しており、独立した三つに見える Cochrane・Bor 2026・日本のガイドラインも、エビデンスの実体はほぼ一つの試験です。アスピリン単独がプラセボを上回るとは示されず、生児を増やすのは併用です。
どこまで届くか ― 生児は増やすが、早産・FGR には及びにくい
ここまでみたヘパリンの作用――aPL 結合の遮断・トロホブラスト機能の保護・補体の抑制――には、もう一つ大切な特徴があります。いずれも病態の中心に対して「二次的」だ、という点です。これらの作用は、中心的な病態を直接抑えるものではなく、しばしば不十分です。低用量アスピリンとヘパリンの併用が一定の割合で失敗するのは、抗凝固薬そのものが無効だからというより、その作用が病態の核に届ききらないため――治療がねらう層と中心的な病態とのあいだにずれ(ミスマッチ)がある――と考えられます。最新総説は産科 APS の治療を「画一的な治療ではない(not a one-size-fits-all therapy)」と評し(Meroni ら 2025)、併用療法のもとでも一定割合が難治であることが繰り返し報告されています(Branch, Lim 2024/de Jesús ら 2020)。
実際、この併用療法を行っても、約2割の妊娠では合併症を防げません(Meroni ら 2025 は「最大20%」と表現)。とくに抗体プロファイルが高リスクの場合、その割合は大きくなります。前向きコホート(PROMISSE)では、LAC が陽性の女性の39%が、治療下でも複合的な不良転帰(胎児死亡/妊娠高血圧腎症・胎盤機能不全による早産/SGA〔small for gestational age、在胎不当過小〕/新生児死亡)を経験しました。別の研究(PREGNANTS)では、3種類の抗体(LAC・aCL・抗β2GPI 抗体)がすべて陽性(triple-positive)の女性で、治療しても生児に至ったのは30%にとどまっています(いずれも Branch, Lim, Blood 2024)。
作用が及ぶ範囲にも限界があります。試験管内では、ヘパリンは aPL によるトロホブラストの血管新生因子の乱れを是正せず、むしろ強力な抗血管新生因子 sFlt-1(soluble fms-like tyrosine kinase-1、可溶性 fms 様チロシンキナーゼ1)を増やしました(Carroll ら, Am J Reprod Immunol 2011)。著者らはこれを「ヘパリン治療下でも APS 女性が後期の合併症(妊娠高血圧腎症)のリスクを抱え続ける理由の説明になりうる」としています。この試験管内の所見は、臨床コホートとも符合します。LMWH と低用量アスピリンで治療した産科 APS 513 例の観察研究では、治療開始後に sFlt-1 がより上昇した女性ほど、その後の胎盤を介した合併症を起こしていました(Cochery-Nouvellon ら, Haematologica 2017)。ヘパリンが届く層(着床・補体)で起こる早期の喪失は減らせても、後期の胎盤発育に関わる障害――胎児発育不全や妊娠高血圧腎症につながる部分――には届きにくい。これが、生児・流産は動かすが、早産・FGR は減らせないという臨床像と整合します。実際 Cochrane も、アスピリンにヘパリンを加えて妊娠高血圧腎症・早産・胎児発育不全を減らせるかどうかは不確実だとしています(Hamulyák 2020)。
では、この併用療法で足りないとき、次の一手はどこへ向かうのか。病態の中心が血栓ではなく炎症と補体の活性化であり、ヘパリンのその層への作用が二次的で不十分なら、答えは「さらに抗凝固を強める」ことではありません。実際、難治例で検討されているのは抗炎症・免疫調整です――全身性エリテマトーデスなどで用いるヒドロキシクロロキン(HCQ、hydroxychloroquine)、低用量ステロイド、免疫グロブリン大量療法(IVIG、intravenous immunoglobulin)、補体そのものを抑える薬(抗 C5 抗体エクリズマブなど)、そして本来は脂質低下に用いるスタチンであるプラバスタチン(pravastatin)です(Meroni ら 2025/Branch, Lim 2024/de Jesús ら 2020)。HCQ は試験管内で aPL のトロホブラストへの結合や TLR4(Toll様受容体4)を抑え、損なわれた細胞融合やアネキシン A5(リン脂質を覆って抗凝固的に働く層)を回復させ(Tong ら 2015)、マウスでは補体活性化を抑えて胎児喪失を防ぐと報告されています(de Jesús ら 2020)。前節までにみたトロホブラスト障害・補体の軸に重なる作用です。
ただし、これらはいずれも確証前です。HCQ が妊娠転帰を改善するかを検証する多国籍無作為化試験 HYPATIA(抗リン脂質抗体をもつ妊婦を対象に、標準治療〔低用量アスピリン±ヘパリン〕へ HCQ かプラセボを上乗せして妊娠転帰を比べる試験。2029年に終了予定)の結果は、本稿執筆時点(2026年6月)ではまだ公表されておらず、根拠は観察研究にとどまります。系統的レビュー(Hooper 2023)でも、HCQ を上乗せした後ろ向き研究は生児の改善を示唆しますが、ステロイドや IVIG などが併用されることが多く、HCQ 単独の寄与は分離できていません。補体阻害薬は症例レベル、プラバスタチンは少数のパイロット研究です。併用療法で足りないときに妊娠転帰を改善すると確立された二次治療は、まだありません(Branch, Lim 2024)。誰にどの上乗せを行い、どこで止めるか――その具体的な数値と判断は第3回で扱います。ここで大切なのは、治療の向かう先(抗炎症・補体)が、ここまでみてきた病態の機序と一貫していることです。
要点:ヘパリンの作用は病態の中心に対して二次的で、しばしば不十分です。この併用療法のもとでも約2割(高リスクではさらに多く――PROMISSE で LAC 陽性の39%、PREGNANTS で triple-positive の生児30%)が難治で、ヘパリンは aPL による血管新生因子の乱れを是正せず(むしろ sFlt-1 を増やす)、早産・FGR を減らせるとは示されていません。だから難治例の次の一手は抗凝固の上積みではなく抗炎症・補体(HCQ・補体阻害・プラバスタチン)へ向かいますが、いずれも確証前で、確立した二次治療はありません(誰に・どこまでは第3回)。
次回(第3回)― 誰を治療し、どこで控えるか
第1回は、治療で生児が増える原因が実質的に APS に絞られることを、見取り図として示しました。本稿は、その理由を埋めてきたことになります――同じ抗血栓療法でも、なぜ APS では生児が増え、ほかの不育症では増えないのか。答えは、ここまでの機序の裏返しです。APS では、抗体が胎盤の標的(トロホブラストと補体)に作用し、ヘパリンとアスピリンがその層(着床・補体・炎症)に部分的に届きます。傷つける標的があり、薬がそこに部分的に届くから、生児が増えます。
一方、原因不明の不育症や遺伝性血栓性素因では、「血栓が妊娠喪失の主因」という前提そのものが弱いことが分かってきました。反復流産の女性が血栓性素因をもつ頻度は一般集団と変わりません(Shehata ら 2022)。胎盤を障害する自己抗体もなく、抗凝固が抑えるべき胎盤血栓という前提も弱い。そのため、抗凝固薬を足しても生児は増えません。実際、原因不明の反復流産への抗凝固は生児を増やさず(de Jong ら, Cochrane 2014)、遺伝性血栓性素因に低分子ヘパリンを上乗せした無作為化試験でも、生児率に差はみられませんでした(ALIFE2、Quenby ら 2023)。この対比の詳細は第4回で扱います。
第1回で示した三つの見分け――その所見は原因か、治療で生児が増えるか、変わるのは流産率という代理指標か、生児という真のエンドポイントか――を、APS は最後まで通る、実質的に唯一の所見でした。抗血栓療法は、流産率という代理指標だけでなく、生児という結果そのものを増やします。それでも、生児を増やす一方で早産・FGR には及びにくく、確実性も GRADE LOW で単一の試験に大きく依存している――いずれも、産科 APS の機序(胎盤の血栓ではなく、トロホブラスト障害と補体活性化)と整合する限界です。
だからこそ、次に問題になるのは「誰に、どこまで」です。第3回では、治療の対象を抗体プロファイルで層別化する考え方を扱います。予後をより強く規定するのは「APS」という診断ラベルそのものではなく、どの抗体が、どれだけの量で、持続して陽性かです。あわせて、改訂 Sapporo 基準と2023年の ACR/EULAR 分類基準をどう使い分けるか、再検査で消える一過性(偶発的)の aPL にヘパリンを足さない境界、そして LMWH と UFH の選択といった実務を整理します。
本連載の各回の要旨・図表アーカイブ・参考文献は、公開リファレンスサイト [obstetric-strategist.com](https://obstetric-strategist.com) にまとめています(本文は theLetter で全文無料)。連載全体を一望し、図表や原典に当たる入り口としてご利用ください。他の連載もこちらから一覧できます。
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- [本連載 第1回:見取り図と、どこまで検査するか](https://obstrategist.theletter.jp/posts/7722dcdc-9163-420a-921c-326859610327)
付録:本稿で頻出する略語
RPL(recurrent pregnancy loss、反復流産・不育症)
APS(antiphospholipid syndrome、抗リン脂質抗体症候群)
OAPS(obstetric antiphospholipid syndrome、産科抗リン脂質抗体症候群)
aPL(antiphospholipid antibodies、抗リン脂質抗体)
β2GPI(beta2 glycoprotein I、β2グリコプロテインI)
aCL(anticardiolipin antibody、抗カルジオリピン抗体)
LAC(lupus anticoagulant、ループスアンチコアグラント)
ACR/EULAR(American College of Rheumatology/European Alliance of Associations for Rheumatology、米国リウマチ学会/欧州リウマチ学会連合)
LMWH(low molecular weight heparin、低分子ヘパリン)
UFH(unfractionated heparin、未分画ヘパリン)
FGR(fetal growth restriction、胎児発育不全)
SGA(small for gestational age、在胎不当過小)
sFlt-1(soluble fms-like tyrosine kinase-1、可溶性 fms 様チロシンキナーゼ1)
HCQ(hydroxychloroquine、ヒドロキシクロロキン)
IVIG(intravenous immunoglobulin、免疫グロブリン大量療法)
TLR4(Toll-like receptor 4、Toll様受容体4)
RCT(randomized controlled trial、ランダム化比較試験)
RR(risk ratio、リスク比)
GRADE(Grading of Recommendations Assessment, Development and Evaluation、エビデンスの確実性評価法)
参考文献
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「抗リン脂質抗体陽性妊娠の診療ガイドライン2026」(南山堂)
こども家庭庁「不育症管理に関する提言(2025)」
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